廿年前の我家のすぐ隣りは叔父の屋敷、従兄の信さんの宅であつた。
裏畑の竹藪の中の小徑から我家と往來が出來て、垣の向うから熟柿が覗けばこちらから烏瓜が笑う。
藪の中に一本大きな赤椿があつて、鵯の渡る頃は、落ち散る花を笹の枝に貫いて戦遊びの陣屋を飾つた。
木の空に
叔父の家は富んで、奥座敷などは廿疊もあつたろう。 美しい毛氈がいつでも敷いてあつて、欄間に木彫の龍の眼が光つていた。
いつか信さんの部屋へ遊びに行つた時、見馴れぬ繪の額がかかつて居た。 何だと聞いたら油畫だと云つた。 その頃田舎では石版刷の油繪は珍しかつたので、西洋畫と云えば学校の臨畫画帖より外には見たことのない眼に始めて此油畫を見た時の愉快な感じは忘られぬ。 畫はやはり田舎の風景で、ゆるやかな流れの岸に水車小屋があつて柳のような木の下に白い頭巾をかぶつた女が家鴨に餌でもやつて居る。 何處で買つたかと聞いたら、町の新店にこんな繪や、もつと大きな美しいのが澤山に來て居る、ナポレオンの戦争の繪があつて、それも欲しかつたと云う。
家へ帰つて夕飯の膳についても繪の事が心をはなれぬ。 黄昏に袖無を羽織つて母上と裏の垣で寒竹筍を抜きながらも繪の事を思つて居た。 薄暗いランプの光で寒竹の皮をむきながら美しい繪を思い浮べて、淋しい母の横顔を見て居たら急に心細いような気が胸に吹き入つて睫毛に涙がにじんだ。 何故泣くかと母に聞かれてなお悲しかつた。 そんなに欲しくば買つて上げる。 男のくせにそんな事ではと諭されて更にしゃくり上げた。 母は虫抑えの薬を取り出して呑ませてくれたがあの時の自分の心は今でも説明は出來ぬ。 幼く片親の手一つで育つてあまり豊かでない生活が朧げに胸にしみ浮世の木枯しはもう周囲に迫つて居たから、何かの刺戟はすぐに譯のわからぬ悲しみを誘うたのだ。