笑顔が一番!

          Sくん(5才)のお母さん


息子は、いこいの家の優しい先生方、お友達に囲まれていつもにこにこ!
こんな息子も、生まれて一年間はぜんぜん笑わなかったのです。
平成8年9月、私たち夫婦に待望の男の子がうまれました。産声を聞き一目だけ見せてもらってすぐに検査、その日のうちに大きな病院に移されました。心臓を4つに分ける壁ができてなく、右足も親指と人差し指が合指でした。でも、すべて手術をすれば良くなるのだと泣きながらも信じていました。1ヶ月後に医師からの告知「染色体異常のダウン症です」なぜ、どうして、うちの子が・・・それから1年間の入院生活がはじまりました。
 心臓の大きな手術も何回もやりました。院内感染で肺炎になり、病院からの深夜の呼び出しなど目が離せない日々が続きました。NICUに入り手足、ありとあらゆるところに点滴の管がついている我が子を部屋の窓ごしに見つめるだけでした。こんな状態でこの子は生き続けるのだろうか、私たち家族と一緒に暮らせるのだろうか、そして障害児....
私の足は病院から遠のいていきました。病院に行くのが辛くどうしようもない時、とにかく誰かに相談しなければと思い、姉の通う幼稚園の主任の先生に相談しました。先生は泣きながら話を聞いてくれ私に言いました。「親から愛されない子どもほどかわいそうな子どもはいないのですよ。」私は目がさめ、この子を愛してあげなければいけないと思うようになりました。私は毎日病院に通うようになり、心の中で早く元気になって一緒に暮らそうね、と言い続けました。願いが届いたのかNICUから出る事ができ、抱くことが許されました。私の腕の中で、点滴の針の跡が痛々しい手足をゆっくりと動かしたときの温もりは忘れません。
それまで、私は息子の笑顔を見たことがありませんでした。足の裏をくすぐったり色々やってみたのですがだめでした。その頃から、てんかんの発作がある事がわかりました。薬を飲み始め、その薬が体に合い効き始めた頃、私がいつも通り面会に行くとベッドの上の息子が笑っていました。看護婦さんより「今日笑ったんですよ!」私は涙が止まりませんでした。その笑顔は、私たち家族の絆をいっそう強くするものでした。生まれて1年後に退院し、私たち家族4人での生活が始まりました。一日中子どもと一緒にいられるってこんなに素晴らしい事なのだとつくづく思いました。
今でも辛いこと、悲しいことにぶつかった時、ふと、息子の「にまぁ〜?」という笑顔を見ると肩の力が抜け「なんとかなるよね!」と勇気づけられるのでした。            
そして、いつも息子を笑わせて楽しい園生活を送らせて下さる、いこいの家の先生方やお友達には、感謝の気持ちでいっぱいです。


Copyright(C) 2002 静岡市心身障害児福祉センター「いこいの家」
出典:いこいの家通信 No.243
静岡市心身障害児福祉センター「いこいの家」
協力 ボランティア通信from静岡
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