約束

          Tちゃん(4歳)のお母さん


私はおそらく、世間で言う「良いお母さん」ではない。
髪を染め、ミニスカートを履く、子どもが転べば、抱き起こすどころか、そのコケッぷりを賞賛する。夜中に延々と繰り返される気管内吸引装置に腹を立てる事もしばしば(だって眠いんだもん)。
娘の入院生活は生まれて即始まり、手術の失敗や経過の不順にたたられ、病院を後にした時には、三才の誕生日を迎えていた。(我が家では、この退院を「出所」と称した。お勤めご苦労様でした。笑い。)
三年の月日のほとんどは、病気の治療の為に費やされた。始めの一年は、何回ものオペ(手術)で管が抜けたり入ったりの繰り返し。その後ベッドに両手足を縛られ、気管切開で声も奪われて過ごすこと一日中×一年。三年目には十七時間に及ぶ手術でやっと2つの機械が外れ、ベッドから自由になったものの、物心ついたこの頃の娘は、他人との気持ちの送受を拒み、母の影に隠れ、感情のコントロールがつかうただ泣きわめくだけの子になっていた。・・・・しまった。
確かに、治療は最優先されるしかなかった。間違ってはいなかった。だが、事実、娘は傷ついていた。「紐を解いて」「側にいて」という声は握り潰され、彼女の胸の、お腹の、背中の手術跡が物語る。「心の傷はこんなものじゃないゾ」、と。
と、ここで世に言う「良い母」ならば涙を流し、子を抱き悔いるのだろうが、私はそうではなかった。立てない娘の手を取り、立ちあがらせた。「立てない」と書いたが正確には「立てると思っていない」という状態。重病人で看護される、それが自分の立場と思い込んでいた娘に力を取り戻させたかった(老人の介護に通じるかもしれない)。それからというもの、歩けない、喋れない、食べれないこの子を、驚異的と言える程「普通」に扱った。庇護をを求めて泣き、その場の困難を人の手によって一時的に取り除く、という方法にピリオドを打たせるために。
「長い間入院していたんだから・・・」「かわいそうじゃない・・・」と何度となく咎められもしたが、それから一年経った今も、娘は自分の足で歩き、飲み込み、出ない舌の声を自ら工夫した方法で喉を鳴らして出し、うまく暮らしている。まだ他人とは深く関われないが、姉妹の間で気持ちを渡しあう術を学びつつある。確実に生きる力が戻ってきている。
約束してあげるよ。世間で百点の母ではなくても、娘にとって百点の母でいてあげる。娘がいつか人生を振り返る時、幸せだったと言わせてあげる。だからあなたも、約束。
・・・私ら親より、長生きするんだよ。


Copyright(C) 2003 静岡市心身障害児福祉センター「いこいの家」
出典:いこいの家通信 No.255
静岡市心身障害児福祉センター「いこいの家」
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