みなさんに支えられて

          菜那ちゃん(6歳)のお母さん



平成十一年十一月、菜那は産まれました。分娩室の中は慌しく、産声を上げる事がない子供を、タオルで隠すように連れて行く看護士さんの姿が記憶に残っています。そのまま菜那は、こども病院へと搬送されました。病院から帰ってきた主人は、娘の様子を泣きながら話してくれました。まず、鼻と口から息をすることができないという事。将来気管切開が必要だという事。膝が反対に折れ曲がってしまっているという事。私はその話を他人事のように聞いていました。私の子供?気管切開?何の事?現実から逃げたい一心だったと思います。

そして、初めて病院に行き、菜那と対面した時、現実が重くずっしりのしかかってきました。鼻からパイプを通し、たくさんの管をつけ、両足にギブスをし、苦しそうに呼吸をしている姿を見て、涙が止まりませんでした。自分を責め、「ごめんね、ごめんね。」と謝る事しかできませんでした。それから、退院する迄の2年間、たくさんの事がありました。5ヶ月の時、気管切開。菜那が生きていく為に必要なこととは言え、子供の首に穴を開けなければならない辛さは、計り知れないものがありました。その後先生から、菜那の喉の中は全く機能していないという事を聞かされました。この先、飲食も声を出すことも一生できないという現実・・・。受け止めるには、かなりの時間がかかりました。

そんな中、私を勇気づけ励ましてくれたのは、同じ病棟のお母さん達でした。同じ立場でなければ分からない悩みや、悲しみを話し、分ち合っていくうちに、菜那に対して前向きになっている自分がいました。

菜那が退院して、忙しい毎日がやってきました。一日5回のミルク。10分〜15分おきの吸引。てんかんの発作。キャーッと発狂したくなる時もありました。でも、菜那が家にいてくれる。それだけで、心が安らぎ、幸せを感じるのです。

家に帰って来てからの菜那は、少しずつ笑顔を見せてくれるようになりました。顔面がマヒしているので、普通の子のようにニコッとは笑えないけれど、口元をゆがめてニヤッとします。とてもかわいいんですよ!声は出せなくても、目や手でお話をしてくれるようになりました。今では、菜那の考えている事がだいたい分かるようになりました。菜那のやる事、一つ一つが感動の連続です。

菜那が産まれて、たくさんの涙を流しました。その分、今ではたくさん笑っていられます。ふと気付くと私の周りは、家族、友達、先生方他、たくさんの人達が支えてくれていました。支えてくれる手があるから、今笑っている事ができるんですね。
最後に、いつもお世話になっているすべての人達に

「いつもありがとう。これからもよろしくお願い致します。」


Copyright(C) 2005  こどもの杜「いこいの家」(静岡市心身障害児福祉センター)
出典:いこいの家通信 No.280
協力 ボランティア通信from静岡
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