神奈川RB設立総会

日時: 1999年1月10日 10:00〜15:00

会場: 神奈川県民サポートセンター

参加者:

静岡RB 鷲巣、北堀
※ 以上、敬称略。

被災地で長期にわたり実際にボランティア活動された方の話を聞くことができました。今後の我々の活動に参考になる情報満載です。

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 神奈川RB設立総会の報告及び、その後で開かれた記念講演の報告です。


1. 神奈川RB設立総会について

10:00から12:00にかけて、神奈川RBの設立総会が行われました。静岡RBからは鷲巣、北堀の2名が出席しました。(沼津RB、埼玉RB、東京RBからも多数の参加者がありました。)下記次第にしたがって、設立総会はつつがなく進行しました。

受付けの様子。

神奈川RBでは女性隊員が受付けをされていました。
ハイテク活用例?

見にくいですが、写真中央に鎮座するのはプロジェクターです。これにノートパソコンをつないで、活動経過などのプレゼンテーションを行ってました。神奈川RBはHPの運営も含めて、コンピュータ関連技術、機器を上手に活用されていますね。
議事進行中・・・

議長の方が出席者の正面で議事を進行されました。うわぁ、緊張するだろーなぁ・・・
役員・リーダー紹介

神奈川RBの役員の方々は以下の通りです。
代表   山田氏
副代表  中島氏、谷内氏、入佐氏、井上氏
事務局長 原氏
会計監査 岩瀬氏、松井氏


2. 神奈川RB設立総会 記念講演について

13:00〜15:00にかけて、記念講演がありました。以下にその内容を報告します。なお、今回掲載している内容は、講演で話していた順序にしたがって記載しており、同じ内容が繰り返されていたり、話の内容が突然変わったりしていますが、あらかじめご容赦ください。(まとめようと思ったんですが・・・。1ヶ月経ってもこのありさま。まとめるのをあきらめてそのまま掲載します・・・。(-_-;;)

日時: 1999年1月10日 13:00〜15:00

神奈川RB設立総会 記念講演
「バイク・情報・ボランティア」
講師:大正製薬(株)大阪支店販売エリアマネージャ 青木秀公 氏

ボランティア活動の目的:
お客様である各地域の薬局を回り、お客様の無事を確認しお客様のために必要となる物資を供給する。(一般市民に対する活動ではない。)
※ 一方で会社からの指示があり、現場の一般市民の状況も理解でき、一般市民から物資を配ってほしいと請われると断わりにくい。どうしたかと言うと、人が集まってきたら「逃げた。」そうである。
講師の青木さんです。

バリバリの関西弁でお話しいただきました。場が和んでよかったです。(関西弁って不思議ですよねぇ。)今日の講演のために、大阪から駆けつけてくださいました。ありがとうございます。

活動の指示形態:
会社からの指示により、通常業務として活動。通常業務の一環としたため、活動する社員に怪我が発生しても雇用保険の対象となるよう配慮がなされた。また、救済活動に必要な器材、備品は会社より支給された。救済活動期間中は、業務に関する一切の事柄に対して放棄することを命じられた。(救援活動に専念してもらうため。)

震災後4年も経つと記憶が風化する。(だから立ち直れるのか・・・)

大阪、神戸間を結ぶ下記主要幹線道路及び電車がすべて不通となった。

・国道43号
・国道2号
・中国高速道路
・阪神鉄道
・近畿鉄道
・JR西日本鉄道

震災当日、大阪から車で被災地に向かうも1hで5mしか進まない状況。震災後、公衆電話は12h以上不通のまま。(回線断、回線パンクなど?)公衆電話がほとんど使用できないため、会社にある携帯電話を総動員して、災害支援に向かいメンバー全員に携帯させた。(現場ではすぐに電話のバッテリーが切れてしまう。長時間の利用には予備のバッテリが必要。)
※4年以上前のため、携帯電話の普及率が低く、公衆電話よりもつながりやすかったのでは?現在の携帯電話普及状況から考えると、被災したら携帯電話は利用不可と考える。(神奈川RB談)

被災地への移動にバイクを検討するも、レンタルバイクがなく断念。本社に掛け合い、全国各支店にある50ccのバイク(全部で20台程度)を被災地に搬送し、それを利用。バイクが届いても被災地の土地勘が無ければ活動できず。(目標となる建物が到壊しているため、土地勘の無い人では目的地にたどり着けない。)
災害救助に向かったメンバーほとんどが普段バイクに乗ったことが無いうえ、被災現場がガレ地のため活動が思うように進まない。(メンバーの中から怪我人が出た。)
被災地の状況は・・・

被災地の状況及びボランティアの活動状況について実際の地理状況に沿って説明してくれました。近くて遠い被災地を実感した場面です。

最初の1日は水とラーメンを持って被災地に入る。1日で1回しか配ることができなかった。 最初は一人一人で活動していたため、事故で怪我などすると後方支援基地まで戻ってくるのが大変。(支援基地から各メンバーに連絡を取ろうとしても、携帯電話がつながらない。)この教訓から、必ず2名でペアを組んで活動するようにした。(被災地内でバイクを離れると、荷物やバイク自体を盗まれてしまう・・・。)
また、後方支援基地から直接バイクで移動すると、掲載できる荷物が少なく行動に無駄が多いことが判明。後方支援基地からできる限り車で被災地に近づき、車を最前線基地としてバイクで救援活動を行う。(飛躍的に活動効率が向上した。) 最前線基地には情報管理者を常設し、バイク部隊からもたらされる災害情報を整理し、次の活動に役立てた。

被災地の食糧事情については、被災後数日でほぼ復旧した。(自衛隊が空から食料を大量に放出したため。)食料がある程度カバーされてからは、下着やコンロ、キャリアカートなど生活必需品に対する要望が増えた。(風呂に対する要望が増えた。)
被災地で効率よく活動するためには、情報の収集、整理が非常に重要となる。また、自分たちの活動に必要な水、食料を必ず確保すること。(特に最前線。)活動を継続させていくには自分自身の活動に必要な環境を整えておく必要がある。 バイクでの活動は、荷物をリアシートに搭載するため、リュックなどに自分の活動に必要な物を入れた。 お客様の救済が目的ということもあり、物資を届けることに加えて客様の安否確認も同時に行った。 被災地にあるガソリンスタンドは、建物が無事であっても数日間使用できなかった。(安全を優先したための配慮か。)

家屋が全壊している地域には人がいない。(既に亡くなっているか、無事ならば遠方にいる親戚、知人を頼って非難している。)半壊家屋が多い地域ほど、残っている人が多い。(未練が残るためか。) バイクは頻繁にパンクした。走れなくなったバイクはその場で直さず、後方支援基地より安全な地域で直すよう心がけた。

被災地に向かう幹線道路はすべて封鎖。自衛隊、警察の管理下に。日を追う毎に、被災地への立ち入りが厳しくなる。(被災地への立ち入りには、最寄りの警察署で発行される進入許可証が必要。この許可証は期限付きのため、頻繁に新しい許可証を入手する必要があった。)
震災現場に置いて、消火活動中の現場では何もできないし手伝うこともできなかった。消防隊員などの専門家に任せるべき。ボランティア活動をするのであれば、被災の最前線には近づかないこと。現場で行動しているプロの作業を邪魔することになる。むしろ隣接する被害の少ない地域に対して援助の手を差し伸べた方が効果的である。

被災現場では紙とマジックが何かと役に立つ。
通行制限については、時間がたつにつれて警察からの制限が厳しくなる。被災後3日目頃から特に厳しくなる。(幹線道路は即時に規制がかかる。)阪神淡路大震災の結果から、今後起こる震災ではこの規制が更に厳しくなると考えられる。
震災同日は自分のことだけで精いっぱい。現場で活動ができるようになったのは被災後3日目あたりから。阪神淡路大震災では9市にまたがる地域で被災した。また、被災時の季節が冬だったため、防寒対策が重要だった。
被災地を移動した際の状況は、河川に架かる橋は小さい橋ほど大丈夫だった。大きい橋ほど被害を受けやすい様子。(感覚的な報告。)被災現場に近い地域(被災していない地域)でも20kmの移動に1時間程度かかる。
警察の立場からすると・・・

神奈川RBのアドバイザーをされている神奈川県県警白バイ隊指導員の田嶋氏から、被災時の対応について助言がありました。被災地の中心(危険な所)に行かなくてもRBとして活躍できる場はいくらでもあるのではないか?と言う問いかけに、RB活動について改めて考えさせられました。

後方支援基地として必要な条件(最低限)は以下の通り。

・宿泊できること(風呂付き)
 継続的に活動するために、宿泊施設は必須。ホテルのような施設が理想。
・ボランティア活動する人に対する水、食料が確保できること
 継続的に活動するためには、ボランティア活動する人が普段通りの生活ができる環境にいる必要があるため。普段の生活水準が満足できない状況では、長期間にわたる継続的なボランティア活動は不可能。
・ガス、水道、電気等、普段の生活と同じ環境がそろっていること。
 同上。
・広い駐車場があること
 活動をするにあたり必要となる車、バイクを保管する場所が必要。また、外部からの物資を受け入れる際にも広い駐車場が必要。
・被災地までの経路が確保できること
 せっかく後方支援基地を確保しても、被災地までの距離が遠い、又は被災地までの経路が無い場所では活動に無駄が多く、十分な効果が得られない。
・広い会議室、コピー機などが用意できること
 活動を行うにあたり、非常に多くの情報を収集、整理しなければならない。また、現場からの情報を吸い上げ、次の行動を検討するためにも会議室が必要。合わせて必要な資料を作成配布するためにもコピー機があるとよりベター。
後方支援基地、最前線基地には必ず情報管理者を一人以上常駐させる必要がある。情報管理者は集まった情報を整理し、実動部隊であるバイク隊を指揮しなければならない。(実動部隊は行動するのに精いっぱいで、情報の整理、翌日の行動計画策定は不可能。)情報管理者は基地に居て、実動部隊からの連絡及び情報整理に加え、その情報分析、次の行動計画策定、本部、外部との連絡担当として確実に連絡の取れる状況にいる必要がある。被災地においては、後方支援基地、最前線基地とそれぞれにこの役が必要である。
情報を整理する役がいないと、せっかく人数がいても効率よく活動できない。また、連絡役不在により、現場での作業が混乱する。

ボランティア活動の基本は、「無我夢中」なのでは?

ボランティアが災害復旧の足を引っ張ることがあるということが実感できた。専門家の領域に踏み込まなくとも、やることは一杯あるのではないか?

設立総会終了!

講師の青木さんを中心に全員の写真を撮って解散。神奈川RBの皆さん、設立おめでとうございます。これから色々と困難があると思いますが、お互い協力し合ってRB活動を盛り上げていきましょう。


<一言>
今回の話から、実際には被災後3日間は自身のこと、復旧体制構築で費やされるのではないかと言うことが予想できる。阪神淡路大震災の時と違い、携帯電話が一般に普及している今、被災したら携帯電話も宛てにできない。公衆電話、携帯電話が駄目となると、無線や口頭伝言が重要になるのではないか?
被災地の情報収集に関しても、足で稼ぐ必要があると思われる。
今回の講演は、会社からボランティアとして派遣されたケースなので、RB活動にそのまま当てはめるわけにはいかないが、今後の訓練に向けて非常に参考となる話を聞く事ができた。
人の記憶は薄れやすい物である。実際に被災した人、ボランティアで苦労した人の経験を今のうちに吸収しておかなければ、せっかくの経験が活きてこない。今回は貴重な話が聞けてよかった。




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