始めて此濱へ来たのは春も山吹の花が垣根に散る夕であつた。 濱へ汽船が着いても宿引の人は来ぬ。 獨り荷物をかついで魚臭い漁師町を通り抜け、教はつた通り防波堤に沿うて二町ばかりの宿の裏門を、やつとくゞつた時、朧の門脇に捨てた貝殻に、此の山吹が亂れて居た。 翌朝見ると、山吹の垣の後ろは桑畑で、中に木蓮が二三株美しく咲いて居た。 それも散つて葉が茂つて夏が來た。
宿はもと料理屋であつたのを、改めて宿屋にしたそうで、二階の大廣間と云うのは土地不相應に大きいものである。 自分は病気療養のためしばらく滞在する積りだから、階下の七番と札のついた小さい室を借りていた。 ちょつとした庭を控えて、庭と桑畑との境の船板塀には、宿の三毛が來てよく晝眠をする。 風が吹けば塀外の柳が靡く。 二階に客のない時は大廣間の真中へ椅子を持出して、三十疊を一人で占領しながら海を見晴らす。 右には染谷の岬、左には野井の岬、沖には鴻島が朝晩に變つた色彩を見せる。 三時頃からはもう漁船が歸り始める。 黒潮に洗はれる此浦の波の色は濃く紺青を染め出して、夕日にかゞがやく白帆と共に、強い生々とした眺めである。 これは美しいが、夜の欸乃は侘しい。 譯もなしに身に沁む。 此處に來た当座は耳に馴れぬ風の夜の波音に目が醒めて、遠く切れぎれに消え入る唄の聲を侘しがつたが馴れれば苦にもならぬ。 宿の者も心安くなつてみれば商売気離れた親切もあつて嬉しい。 雨が降つて濱へも出られぬ夜は、帳場の茶話に呼ばれて、時には宿泊人届の一枚も手伝つてやる事もある。 宿の主人は六十餘りの女であつた。 晝は大抵沖へ釣りに出るので、店の事は料理人兼番頭の辰さんに一任して居るらしい。 沖から歸ると、獲物を焼いて三匹の猫に御馳走をしてやる。 猫は三毛と黒と玉。 夜中に婆さんが目を醒した時、一匹でも足りないと、家中を呼んで歩くため、客の迷惑する事も時にはある。 此婆さんから色々の客の内輪の話も聞かされた。 盗賊が紳商に化けて泊つていた時の話、県廰の役人が漁師と同腹になつて不正を働いた一條など、大方はこんな話を問はず語りに話した。 中には哀れな話もあつた。 數年前の夏、二階に泊つていた若い美しい人の妻の、肺で死んだ臨終のさまなど、小説などで讀めば陳腐な事も、こうして聞けば涙が催される。 浦の雨夜の茶話は今も心に残つて居るが、それよりも、婆さんの汐風に黒ずんだ顔よりも、垣の山吹よりも深く心に沁み込んで忘られぬものが一つある。