静岡県の「韮山の日々の風景」のメニューです。
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投稿者のコメント」 私は、21歳で、現在の病気になりました。 縁あって結婚をして、子供にも恵まれました。 再発は繰り返しているので、視神経萎縮は進んでいきました。 娘が進学するのをチャンスにして、盲学校に入学するのを決心しました。 46歳でした。 盲学校は、私にやる気をもたらしてくれました。 卒業後、資格を生かして、治療室を開きましたが、目だけでなく、他の神経にも再発 を繰り返したので、他人に対しての治療はできなくなりました。 盲学校時代、Dさん(増本)が静岡で、ぱそこんを教えてくださっていることを知りました。 当時、中伊豆から、Mさんが、静岡まで通っていることを知り、一緒に通わせても らい、勉強することができました。 文章が書けるようになりたいのが夢でした。 盲学校で点字を学習したので、点字入力の、アポロキーで憶えていきました。 お陰様で、文章が書けるようになったのです。 現在は、視野も、中心部分がやられているので、物を読み取ることはできませんが、 ボヤーと見える程度の視力となっています。 家の中で、家事をすることはできています。 そこで、運動として、週2回のウオーキングなど、ヘルパーさんに説明してもらい、 その時々の風景を、文章にしてみたいと思ったことが、メールを出す機械となりまし た。 藤のツボミは、主人に協力してもらって書きます。 隣のツバメは、生協の品物をグループ買いしているので、荷物を分けるとき、隣の奥 さんにツバメの様子を教えてもらっているのです。 自分ひとりでは、こんなふうに、説明できないのですが、みんなの協力によって投稿 することができています。 |