静岡市北、季節だより  110(2016年2月)

[あわや危機一髪、谷底へ)ヒヤットした思い出。(2016年 2月17日)

 CATS−MLの皆さんこんにちは。
 静岡の西川です。
 月日の立つのは早いものです。
新年を迎えたと思ったら、もう2月も半ばを過ぎようとしています。
 さて、あの痛ましい、軽井沢でのスキーバスツアーの大事子から1ヶ月が過ぎました。
 改めてあの悲惨な事故を思い出しながら将来ある多くの若者のことを考えるととても悲しい事故でした。
 さて、スキーバスツアーの事故というとすぐに思い出すのは、30年ほど前におきた、長野県の松本から長野にむかう犀川(サイ川)スキーバスの転落事故のことを思い出します。こちらも日本福祉大学生が長野のスキー教室に向かう途中に凍結した路面にバスがカーブを曲がりきれずに犀川に転落してしまったという悲惨な事故でした。
この事故も将来ある大勢の大学生が亡くなってしまったのです。
それから、観光バスツアーの事故と言うと皆さんもご存知だと思いますがなんといっても飛騨川バス転落事故の事を思い出します。
それは昭和43年8月18日のことでした。北アルプスの乗り鞍岳に向っていた、観光バスのうちの2台のバスが大雨の為立ち往生していたところに土砂崩れが襲い、そのため2台のバスは飛騨川に転落してしまい死者104名が亡くなると言う大惨事となってしまいました。
 私は、丁度その一週間前に乗り鞍岳のとなりにある穂高だけに登り、帰りは飛騨川沿いの高山線に乗って帰ってきたので、その飛騨川バス転落事故を今でもはっきりと覚えています。
 皆さんもきっと、今回の軽い沢スキーバス事故のことで、コレまでに起きたいろいろなバス事故の事を思い出したと思います。
今も昔もバスツアーの事故が絶えないことにとても残念に思います。
 
さて、私の「あわや、危機一髪」ヒヤットした思い出です。
 もう50年ちかく前のことです。
毎年12月に入って金曜土曜の夜にもなると静岡駅の近くの伝馬町公園の前からは、長野県、山梨県方面にスキーバスや、スケートバ
スが出発しました。
私もそのシーズンの一月に仲間と一緒に河口湖(カワグチ湖)の近くの富士ハイランドスケート場に行ったときのことです。
前夜出発して御殿場経由で篭坂峠を越して夜中にスケート場近くの旅館について過眠しました。
 翌朝は朝から雪が降り出し、昼前には本降りとなってしまったのです。
 それでも、お昼近くまでスケートを楽しんだ後、バスツアーのほうから大雪になる前にと、予定した観光をとりやめて早々に帰宅することになりました。
 山中湖(ヤマナカ湖)を過ぎて篭坂峠を越える頃には視界もさえぎられ吹雪のようになってきてしまったのです。
それでも篭坂峠をようやく越えて、いろは坂のような急な坂道を慎重に下り大きな左カーブにさしかかったときのことでした。
凍結した路面にハンドルがとられたのでしょうか、バスがいきなり横すべりをしてしまったのです。
スリップです。
一瞬の出来事にバスの中はキャーとか、ワーとかの悲鳴でパニック状態になってしまいました。バスは横すべりをしながら右がわの谷にむかってすべっていくのです。
一瞬の出来ごとでしたがずいぶん長く感じました。
その時、バスの運転手の機転が働いたのでしょうか、バスはガードレールに軽くぶつかったあと停止したのです。
 なにがおきたのか本当に一瞬の出来ごとでした。
あとから聞いた話でしたが右座席に座っていたヒトは、谷底が見えたと話していました。 
降りしきる雪の中、安全を期して一度みんなバスから降りてバスの方向を整えた後また乗りなおして麓に向けて出発したのです。
 あの時、バスがもっとスピードを出していたらガードレールを飛び越して谷底にまっさかさまでした 。
 バスツアーの事故がおこるたびに、あのときのことが思い出されます。
 最近では、日本に大勢の外国からの観光客が訪れます。
日本のイメージを落とさないように無理をしないで、安全を第一にセールスしてもらいたいと思うのはみんなの願いでしょうか。

 平成28年2月17日 西川 


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