ボスの遠聞近触 11 「見たい、と言う願い。見えない、言う、つらさ」


 私は昔から町を当てもなくぶらぶら歩くことが好きでした。
そのため、道を歩いていると、
この先はどうなっているのだろう、
どんな建物があり、どんな人たちが住んでいるのだろうと、
好奇心が刺激され、
いつの間にか遠くまで足を伸ばしてしまったことがよくあります。
出張などで知らない町を訪れたときは
なおさらでした。
出向く先が徒歩1時間以内であれば、
許す限り町ぶらしながら歩きました。
この町ぶらは
一人歩きこそが楽しかったのです。
誰に束縛されることなく思いのまま散策し、
自分の目で確かめ、味わうその喜びは
まさに至福のときでした。
この私の「町ぶら」は
一人で自由に歩けなくなるまで続きました。
 しかし視力をほぼ失った今、
そのわくわく感と感動を味わう町ブラはかなり難しくなっています。
 例えば、
若い頃一度訪れたことのある岐阜県のある町に出掛けたときのことです。
予定より早く会議が終わった私は、
いつものように駅まで歩きたいという思いが高まりました。
白杖1本で知らないところを歩くのはかなり無謀であり、
一歩間違えば大きな事故にもつながりかねません。
でもこのまま帰るのは惜しい。
少しでも雰囲気を味わえればと、
歩くことを決意し、
会場出口付近にいた人に駅までの道順を尋ねてみました。
2つほど角を曲がる必要があるが、
全体としてあまり複雑なルートではなさそうでした。
頭に道順のイメージを描いてから外に出ました。
歩道はあるが、かなり狭く、
その上、電柱もところどころにありけっして歩き易くはありません。
そこで、走っている車が少ないことをよいことに、
車道に降り最初の角まで進みました。
次からの道は車も多かったので、
仕方なく狭い歩道を歩くしかありません。
途中で何人かに道を尋ね、
また店頭のたて看板や電柱、車などにぶつかりながらも
なんとか駅にたどりつきました。
耳と鼻と皮膚の感覚で町の雰囲気を味わいながらの一人歩きでしたが、
昔を思えば全くつまらない町ぶらです。
自分のこの眼で
昔とはさぞ変ったに違いない景色を確かめられないのは
なんとも残念です。
喫茶店に入りほっとすると
突然昔の光景が眼に浮かび、熱いものがこみ上げてくるのを感じたのを覚えています。
 私は今でも景色や画像の説明を受けているとき、
無性に見たい」と言う感情が突然湧き上がってくることがあります。
一生懸命説明してくれる方には申し訳ないことですが、
やはり自分で見たいのです。
いくら説明されてもやはり物足りなさが残るのです。
それは説明が不十分だからではありません。
自分で見て納得したいという思いが
満たされないくやしさなのです。
 そんな、無理なこと。無いものねだりをしてもはじまらない」
と、言われるかもしれません。
でも見えないことを仕方が無いとあきらめている一方で、
見たいと言う願望も強く持っていることも分かってほしいのです。
 最近インターネット上には、
クリックすれば、
世界中の建物や町の様子などが、
一瞬にして写し出されるサービスがあります。
画像をいろいろ説明してもらいますが、
そんな時やはり見えないことはつまらないと思えてしまうのです。
 もちろん
「見えないからつまらないと毎日思いながら生活しているわけではありません。
 現存するハードやソフトのしすてむを、
工夫やスキルによりフル活用し、
それを補い人生をエンジョイしています。
 そんな私に、
人は「障害を克服し人生を積極的にとらえ頑張っているととらえます。
しかし私は受容など全くできていません。
精神的にはいつくずれてもおかしくないもろさで生きています。
明るく装うのは、
つらさをベールで多い意識下に押し込んでおこうとする、
ささやかな抵抗に過ぎません。
 障害を気にせず、
前向きに生きようと自分の心を奮起させているだけです。
 こんなこともありました。
 知人のパソコンサポートから帰り玄関に入ると、
電話の呼出し音が鳴っていました。
急いで部屋に入り受話器をとると、
「先生、俺、生きていくのがいやになっちゃったよ」とAさんの沈んだ声が聞こえてきました。
彼は、
先天性網膜色素変性症という原因不明の眼疾患で、
徐々に視力が低下し、
今は光覚(明るい暗いが判別できる)程度です。
自営業だったので、
視力が落ちてきても、ぎぎぎりまで経営を続けることができ、
50才を越してから盲学校の門をくぐりました。
卒業後しばらくして、
自宅近くの介護サービス事業所に就職。
通勤は徒歩10分ぐらいなので、
一人で往復していました。
この職場は、
終業時の建物内の見回りと事務所内のごみ処理は、
日々の当番性になっていました。
勤め始めて半年後、
内部の様子もほぼ理解できたところで、
上司に自分も当番に加えてもらい、できるだけの責務を果たしたい、
と申し出たようです。
上司は「分かりました」と答えてくれましたが、
まもなく「あなたはやらなくていいです」、と、
言う返事が戻ってきたようです。
どうしてか尋ねると、
最初はなかなか答えてくれなかったようですが、
やっと「何かあったら困る」との答えを聞きだしました。
 商店経営では一人で全てを切り盛りしてきた経験があり、
終業時の片付け、戸締りなどには自信もありました。
そんな彼に対し
「眼が悪い人には無理」と、
言わんばかりの返事は彼に大きなショックを与えたのです。
 いつも原気で相当のプレッシャーには耐えられる彼だが、
見えないことへの差別姿勢には耐えられないものがあったと言うのです。
その頃は、家庭内でもいろいろなことがあり、
精神的にも落ち込んでいた時期だったため、
見えないつらさが強く反応してしまったと
いうこともあるようですが。
それ以来、見えないということを強く意識するようになり、
「なぜ見えないのか」「見たい」と言う感情がすごく高まってしまった。
でも見えないという現実は受け入れざるを得ないと、
いう自分がつらくなり、
生きていく自信が持てなくなったと言うのです。
見えないつらさを覆っているベールは薄い。
周りの人の不用意な発言や行動、
で覆いが突然はがれ、
「つらさ」が意識上に頭をもたげてくることがあります。
 よく、
「眼がわるくなったおかげでいろいろな人とめぐり合うことができて良かった。」とか、
「眼が悪くなって人の心が分かるようになった。」
 「周囲の人たちの優しさが分かるようになった。」
また中には「眼が悪くなって職業を診身につけられたため昔より収入が増え良かった。」など、
いかにも自分の視覚障害を肯定するような発言を耳にすることもありますが、
それは自らを慰める偽善的発言であることが多いのです。
障害の克服とか受容とか言いますが、
中途視覚障害者の大半(全てかもしれませんが)は、
克服も受容もしていないのです。
中途視覚障害者のほとんどは「もう一度見えたら」と願っているはずです。
 皆さんも、
是非、上面ではない心の奥の訴えや叫びに耳を傾けてほしいものです。
それは、
きっと今後のボランティア活動、
いや地域福祉の原点の1つとなりうると信じています。

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