「障害者差別」


 皆さんは2006年12月13日の国連総会で障害者権利条約が採択されたことをご存知でしょうか。
 条約案には、「障害を理由とする、いかなる種類の差別も禁止する」と明記されており、
教育、雇用、公共施設の利用などに関する障害者の権利を確保するため、
「過度な負担」を生じない範囲での「合理的な配慮」を締約国に求めています。
 今後日本は、この条約を批准し、障害者関連法の制定などを迫られることになります。
 国際的には、こんなに大きな動きがあるのに、私の周辺はどうしたことでしょう。
  いつものように講義のため、ある学校の職員室に入ったときのことです。
ドアを開け1歩部屋に踏み込んだところで、私は大きなごみ袋につまずいてしまいました。
いつも何も置いてない場所なので私も注意を怠っていました。
「あっ、すみません」と私。
するとこの声に気がついたのか、廊下の方から、掃除で派遣されている女性の、「えーっ「と、しり上がりの驚きの声。
再度「すみません」と私。
でも幸いに、袋の口は開いていなかったらしく、彼女は無言のまま大急ぎで室外へ袋を運び出していました。
私の店頭したことより、ごみの散らかる方が心配だった彼女の無情な一声はまさに差別そのものでした。
 そういえば数年前に勤務していた学校でのこと。
帰り支度をしていると窓の外から突然激しい雨の音が聞こえてきました。
「どこかに借りる傘はありませんか」と言う私の声に、そこに居た教頭が「この傘を借りたら」と、親切な言葉。
でも次の瞬間、私は耳を疑いました。
「でも、この課さきれいだね、眼が悪いと壊しそうだから止めた方がいい」と、
言って片付ける音がしました。
確かに視覚障害者は傘をさしていると、
電柱などに傘が当たり骨を折ることがあります。
だからといって、借りていかない方がよいとはどういうことでしょうか。
 この2つの実例は、晴眼者対障害者という場面でなくても起こりうう状況かもしれません。
でもここで皆さんに知っておいてほしいことは、
こうした理不尽な差別言葉は視覚障害者には数倍もの大きな矢になって突き刺さることになり、
ときには社会参加への意欲を失わせてしまうことにもなりかねないということです。
 こんなことがある度に、
日本人の心のUD化への道程はまだまだ遠いと感じるのですが、そう思うのは私だけでしょうか。
 

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