静岡市北、季節だより  105(2015年9月)

9月をふりかえって

9月をふりかえって(2015年 9月29日)
 CATS−MLの皆さんこんにちは。
 静岡の西川です。
 9月も残すところあと1日となりました。
 私のところでも、毎日の通勤バスの中にも、キンモクセイの花の香りがいっぱいに漂ってきます。
 一昨日は、お月見でした、そして昨夜はスーパームーンでした。
夕方6時50分、我家の2階の東の窓には、鈴虫に、松虫にカンタンなど秋の虫達の合奏するなかあのオレンジ色に染まった月がたちのぼってきました。
その幻想的な光景にしばし見とれてしまいました。
満月と月食が重なるスーパームーン。次回は31年後とか…。
 31年後のスーパームーンはもう見られません。
その頃の世の中はどんなふうに変っているのでしょうか。
オレンジ色の月を眺めながら平和な社会になっていればいいと願いました。
また昨日は、地元麻機のお不動さんの秋祭りでした。
一昨日は、そのお不動さんの、前夜祭りとしての火祭りが行なわれました。
いよいよ秋たけなわと言ったところでしょうか。皆さんのところではいかがですか。
 さて、9月をふりかえりまして一言。
 先日、多くの国民の賛否の別れる中、集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法案が、与党などの多数の賛成多数で可決成立しました。
 国会で、周産合わせて200時間以上も論議を重ねたにも関わらず、国民の多くがよく判らない、また反対の意見も多い中で最終的には強行採決されたように思いました。
確かに選挙で大勝した与党には最後にはその決定権があるかもしれませんが、ただ、多くの世論を考えると、一度白紙にもどして審議しなおすのが良かったのでしょうか。
 きしくも今年は、戦後70年の年でもあります。
あの悲惨な太平洋戦争を思いおこして涙を流したかたも多かったのでしょう。
 私の母の3人の兄の一人は、中国で戦死しました。
別の二人の兄はやっと日本にもどれたのですが、戦地での栄養も悪かったのでしょう。
また、過労も重なったのでしょう。
やっと日本にもどったのですが間もなく病気で残った二人の兄は亡くなってしまったのです。
二人の姉家族も万州から命からがらにげてきました。
父の兄弟家族もあの、静岡大空襲で焼け出されてしまいました。
義理の兄の父もサイパン島で玉砕してしまいました。
こんななか、戦後70年。多くの国民が悲しみを新たにした戦後70年での、集団的
自衛権の行使を含む安全保障関連法案の可決成立でした。
 思いおこせば、70年安保のときには、私達も労働組合としてデモ行進に参加しました。
今度の安保では大勢の若者や、母親も参加していました。
こんなことからもなんとかこの法案一度白紙にもどしてほしいと思ったのですが残念でした。
 ところで、先日テレビを見ていましたら世界で平和で安全な国として、確か日本は世界で8番目と話されていました。
私は日本は一番かと思っていましたが、今度の安保法案の成立で8番目からもっと下がってしまうような気がしました。
テレビの中での討論では この、平和で安全な日本の姿を世界に広めることが今一番大切と話されていました。
 国連会議が始まりました。
世界ではいまだ紛争がたえません。
世界の情勢が大きく変ったといいますが、粘り強い、対話や平和外交を望むのはみんなの願いでょうか。
 世界には、選挙すらできない国。また、不正な選挙をおこなっている国など様々です。
 ところで、いま、日本では投票率が50パーセント前後にさがってしまったといいます。
そんなことを考えるともっと選挙に参加してほしいと思っているのは私だけでしょうか。

 最後になりましたが、CATS−MLには、ネチケットっといって、メールを投稿するときのマナーがありますが…。
 いま日本ではニュースを聞いていると聞く耳を疑ってしまうような事件に犯罪な、また、自然災害の連続です。
ュースを聞いていて、あえてこんなメールを出させていただきました、まとまりのないメールですが容赦下さい。
 また、誤字脱字ありましたらこちらも容赦下さい。

 では、彼岸を過ぎて朝晩涼しくなって来ました。
皆さんご自愛下さい。
 平成27年9月29日 西川


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